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ラウンドテーブル・ディスカッション(2016年9月17日)

ラウンドテーブル・ディスカッション

2016917日@シンガポール国立美術館・シネマテーク

登壇者:川口恵里、池亜佐美、平岡政展、タン・ウェイ・キョン、ハリー・チュワン、ヘンリー・チュワン

司会:土居伸彰、タン・ウェイ・キョン

土居伸彰
こんにちは、本日はご来場いただきましてどうもありがとうございます。今回のイベントは日本と東南アジア諸国のアニメーション作家たちとの交流プロジェクト「ANIME-ASEAN」の一環となります。

僕自身は10年ほど日本のインディペンデント・アニメーションのシーンに身を置いておりまして、評論を書いたり、現在は映画祭のディレクターとして活動しているんですけれども、このANIME-ASEANのプロジェクトにおいて、なぜシンガポール、さらに言うと東南アジアという地域をコラボレーション相手として選んだのかをまずお話しできればと思っております。

日本のインディペンデント・アニメーションの歴史は1960年から始まっていますが、今ちょうど曲がり角に来ているのかなと思っていまして、そんな時期だからこそ、東南アジアの国々のアニメーションとコラボレーションをしてみたいと思ったのです。

東南アジアを選んだのは、まず単純に言えば、この地域のアニメーションがどうなっているのか知らなかった。僕自身さまざまな世界中のアニメーション映画祭に行き、アニメーションの動向を見ていたんですけれども、その中でも東南アジアの地域はすっぽり抜けているような印象があったんですね。でも同時に、今ここに居るタン・ウェイ・キョンさんを始めとして、何人か特筆すべき作家というものが現れてきたなという印象があった。何かしら東南アジアで、アニメーションの新しい動きが始まっているんじゃないかと思えてきた。もしかしたらそれが、転換期にある日本のアニメーションのヒントになる、新しく進む道のヒントになったりするのではと思えて、今回このプロジェクトを立ち上げました。

一方で、日本のインディペンデント・アニメーションの良質な部分を現在シーンが勃興しつつあるシンガポールや東南アジアに紹介することで、アニメーションにおける一つの日本なりの考え方というものもシェアし、東南アジアのシーンを活性化する、ひとつの助けになればとも思っています。

今回、日本からは3名の作家を連れてきたんですけれども、彼らはいずれも、ストーリーだとかキャラクターといった一般的なアニメーションであれば中心になるであろう要素とは違うところで勝負をしている。川口恵里さんと池亜佐美さんは、東京藝術大学という、日本を代表するアニメーションの教育機関の卒業生で、さらに先生は山村浩二さんという、非常に著名なアニメーション作家である。彼女たちはその教え子のなかでも特筆すべきことをしています。日本のインディペンデント・アニメーションの良質な伝統を引き継ぎながら、それをまた新しい形でアップデートしようとしている存在なのかなと。

また平岡政展さんは、転換期にある日本のインディペンデント・アニメーションの「正史」とは違う文脈から出てきていて、しかし一方で非常に面白いアニメーション表現をしています。彼は独学でアニメーションを学び、世界的に評価されているアニメーション作家になっています。まさに彼は、日本の新しい世代の作家として、皆さんに紹介したかったのです。

ではまず3人が、どのように作品を作っているのかを、簡単に説明してもらおうかなと思っています。

川口恵里
私は『花と嫁』と『底なしウィンナー』という作品を作りました。『花と嫁』については、夜にサイクリングをしていた時に、ふとゴミ捨て場にあった白いゴミ袋たちが、倒れている花嫁に見えたことが印象的で、それをきっかけに作りはじめました。普段見ているものが……たとえば一瞬だけ見えたものが、自分の記憶を強く反映した見え方をしているなと思うことがありました。

でも単純にこの作品は、「花嫁が走る」ことを描こうとも思いました。髪がドレスになったり、花になったり、雲になったり……一個の素材を使いながら、何かいろんなものに見えるという世界観を作ろうと思ったんです。線画台というアナログのレイヤーをいっぱい使った撮影方法を選んでいるんですが、カメラを通してどう見えるかということをたくさん試しながら作りました。線画台の使い方も、藝大で在学中にユーリー・ノルシュテインの作品などを見ながら学んだんですが、そこで使われている線画台を、もうちょっと何か違う使い方ができるんじゃないかと思い、それを試したくて作ったりもしたんですけれど。一つの体の部位に分けて複数のレイヤー上に配置してみたりとか……。

『底なしウィンナー』という作品については、温泉に入っているスケッチを描いてみたり、バレーボールをする中学生たちががんばっている様子をどうすれば描けるかなとかテストしてみたり。(素材は)どんな質感がいいかなとか、どうしたらリアルな感覚を再現できるかを試してみたり……。身体の質感ってどんな感じかなというのも探しました。また人間の質感だけじゃなくて、もう少し俯瞰して、生き物の身体の重み自体はどうしたら再現できるのかなとか、試しながら作っていました。牛も見にいきました。人間に近いものがあるんじゃないかと。

池亜佐美
『ほこり犬のはなし』については、ある時に公園で、老夫婦と埃の塊になってしまったような飼い犬が、まったく同じテンポで歩いている様子を見たことがきっかけになって、制作が始まりました。あとは、私が人生で今まで受けてきた愛情に対して感謝の気持ちを言いたいときに、直接そう語るのは恥ずかしかったので、犬たちにそういう想いを投影させたというところもあります。

触っているシーンを大切にしたかったので、いかにフワフワな犬の質感を作れるか、アニメーションにおける質感づくりにとても重点を置きました。これについてはもうひたすら描いて描いて……という作り方をしました。藝大には「ランチボックス」という撮影の機械があって、その場で描いた動きを簡単にプレビューすることができました。まずは下書きをして、それを少しだけ清書して、コンテを使って質感をつけています。下書きの段階ではフルフレームで作っていたのですが、制作時間が間に合わなくなってしまったので、清書では全コマ1フレーム抜いて描いていきました。1枚1枚は、そんなにたくさん描き込みをしてはいません。ちなみに全部学校の機材で作ったのですが、机もパソコンもぐしゃぐしゃになってしまって……申し訳なく思っています。

USALULLABY』は、プロジェクタに投影することを強く意識した映像になっています。実際に投影された時に「いい質感」になるかどうかを考えました。「描いたものが動いている」ということから、いかに「光が動いて生きている」ような表現にならないか、それを追求したのがこの作品です。イメージスケッチのメモを英語で書いているのは……私は喋れないのでこういうときに照れ隠しで使ってしまうんです。なので英語が母国語の方に観ていただくのはちょっと恥ずかしいです。

イメージボードは非常にラフで、徐々にイメージをかたちにしていきます。絵コンテは作らず、様々な段階をへてシーンを作っていきました。光の質感をいかに作るかという点では、一度、光の粉だけで質感を作ってみようと思い、パールを砕いた粉を使って描いてみたりもしました。一部のシーンに関してはかなり大きな紙を使って作画をし、そこに照明をあてながらシーンを撮影していきました。逆に小さいウサギについては、A4の紙に、とっても小さいウサギをいっぱい作画しました。家の玄関にミニスタジオを作り、絵具と木炭を使った絵を描いたり、立体物を作って後ろから光を当てて撮影もしました。また意図的にフォーカスをぼかした撮影もして、手で描いたものと合成しています。色調を反転させた素材も撮影しています。光は白に黒が浸食するものなので、闇に溶けるような表現にしたいとき、それが「反転」した素材を用意して、黒のほうが光のように見えるようにしたのです。

最近の活動では、アニメーションをいかに「光の素材」として扱うかということに重点を置くようになりました。大きい場所や空間に、白黒で作った「光の素材」としての動物のアニメーションを配置するという展示を、東京や横浜でやっています。

平岡政展
こんにちは、平岡と申します。今から『L’Œil du Cyclone』のメイキングについてお話したいと思います。この作品は、アーティストの方からの依頼を受けたミュージック・ビデオの仕事として作ったものなので、その条件のなかでどうやってよりいいものを作っていこうかというところから始めていきました。この曲は、同じフレーズのループが続くので、それと合うようにしてアニメーションのループを作ろうと考えていたんですけれど、でも、何度も聴いていくうちに、同じように聴こえるループの中にもまたちょっと違うものが聴こえるようになってきて、人がトランスフォームしてまた人になる、ただしループではなく、終わりの段階で人に戻っていくという内容に変えました。

この音楽の静かなエモーションに肉体的なものを感じました。アニメーションは手描きですが、僕は紙ではなくPhotoshopにペンタブレットを使って直接描いていきます。それでも、手で線を描くことには変わらないですし、描かれた線には肉体的なものが宿ると僕は思っているので、それをより強めて、さらに線に肉体感が出るようにしました。また色彩も深みを出そうと思い、同じ色調の中にも階層があるようにしました。一見同じ色彩に見えて、実はグラデーションがかかっている……そういうものにしたかったのです。

ただ、肉体性を表そうとすると、トランスフォームする際に画面がグロくなってしまう……AKIRA』のようなおどろおどろしい肉体表現もあるんですが、僕はグラフィック・デザイナーになりたかった経緯があり、それをよりグラフィカルに、直接的な表現ではなく、観た人が「グロい」と「キレイ」のちょうど境界線を感じるようなものにしたかった。僕は「グロい」だけでなく「キレイ」が好きで、そこを(観る方にも)伝えたいと思ったのです。

土居
これで日本の3名の作家の簡単なプレゼンテーションが終わったんですけれども、恐らく3名の共通点は「動き」や「光」など、ヴィジュアル的な要素を用いることで何かしらを「語る」ということです。僕はこれが、日本のインディペンデント・アニメーションの大まかな共通点なのかなと考えています。ストーリーを語るというよりは、自分自身の世界観やエモーションをアニメーションを通じて表現していくという人が多いのかなと。

とりわけ川口さんや池さんについては、自分たちが使う素材との格闘をしながら、新しいかたちで、自分なりのやり方で、アニメーションの作り方を発見してゆく。そういう非常に個人的な試みとしてアニメーションがあるというのがひとつの日本の特徴だと思っています。ある意味でいうと、瞑想や修行のように、作りながらにして自分自身の奥なる場所へと入り込み、謎の領域を探しあてていく……そういうような活動を、アニメーションを作ることを通じてしている人が多いという印象があります。

インディペンデントの短編作品にとって、アニメーションの映画祭というのは重要な場所です。アニメーション映画祭は非常にヨーロッパ的な価値観が強く、ストーリーテリングの手段としてアニメーションを考えることが主になっていると思います。そういうなかで日本のアニメーションが存在感を発揮しているのは、今語ったような理由によって、珍しいものとして受け入れられているのかなと。

タン・ウェイ・キョン
シンガポールは日本文化から大きな影響を受けています。私たちはマンガを読んで育ちました。日本のアニメはテレビの国営放送で流れています。それでは、ヘンリー&ハリーにマイクを渡して語ってもらいましょう。どのような手法を使っているか、どのような影響を受けているか、また3人の監督の作品を見て、自分たちとどこが違うか、あたはどこが同じかといったことについてお話いただければと思います。

ハリー・チュアン
わかりました。まず、私はウェイ・キョンと同じ意見です。シンガポール人は日本のアニメーションにとても影響を受けています。とくに「アニメ」と呼ばれるものです。私たちの多くが新海誠の作品が好きだと思います。一方で、山村浩二の作品のようなアニメーションに対しては、あまり関心が育っていないとも思います。授業で見せたことがことがありますが、学生はそれが山村作品を初めて観る機会でした。また、私たちは日本の漫画に強く影響を受けていますが、他方では、あまり追従しすぎないように気を付けてもいます。大学に行っていたころの話ですが、先生はヨーロッパのアニメーションを紹介してくれました。グロテスクな印象をもったものがいくつかありました。グロテスクすぎるということはないのですが、ざらざらして荒々しい感じがありました。こういうヨーロッパの作品からも多くの影響を受けていると思うんです。私たちの作品が曲がった線を使うのはその影響です。

ヨーロッパのアニメーションでは遠近法とは違うものが採用されているようでした。それで、『142B号棟の虎』で同じことをやってみようとしました。『142B号棟の虎』に関していうと、スタイルは自分たちが好きなものと日本のアニメやマンガとの融合を図ったものですが、同時にヨーロッパのインディペンデント・アニメーションからの影響もありました。手法に関してですが、日本のアニメーション作家から作品の作り方を聞いて、本当に衝撃を受けました。私を興奮させたのは2つありますが、まず一つ目は日本の監督たちの感性です。日々の何でもないものを捉えようとしています。たとえば公園の散歩とか、ふわふわの犬とかいったようなものです。あるいはバレーボールの試合からインスパイアされながら、特別な視点からその主題を広げていこうとしています。ゴミ袋が落ちてくるだけで、創造に駆り立てられています。アーティストとはこうあるべきだと思います。すべての物事に対して敏感であり、語るに値するものを語る。今日はたくさんの作品を見ているわけですが、それらは多くのことを語り直そうとしている作品です。すべての物事に対していつも新しい視点がありえます。私はアーティストはこうあるべきだと思うんです。新しい光を投げかける存在であるべきだと。

もう一つ言っておきたいのは、技術に大変驚きました。最近はテクノロジーを使いすぎないようになっていて、ある種、怠惰になっているような気がします。テクノロジーの最先端というのはあまり関心が持たれなくなっている。というのも、不完全というのも一つのスタイルであり、あちこちにミスがあったほうがいいと私は考えているんです。

タン・ウェイ・キョン
二人が『Contained』という作品を作ったとき、アーティスティックなアプローチをとったのがいまでも印象に残っています。あれはとても突発的で、君たちもどこに向かっているのか分かっていなかった。あの作品について少し語ってもらえますか。手法について、どういう点で二人は合意していたのでしょうか。

ハリー・チュアン
Contained』のことですが、私たちはストーリーボードを作り、通常の時間軸に沿った制作方法をとっていました。もともとはヘンリーの仕事でした。彼は津波が小さな島に押し寄せる場面を作り、私たちは二人ともそのアイデアを面白いと考えました。そのとき、タン・ウェイ・キョンの『White』にもインスパイアされていました。タンは映画祭やアートの世界へと私たちを導いてくれた存在でした。その段階では実験を繰り返し、様々なことを試していました。そうするうちに、「ストーリーボードは無しでいこう」、「なるがままにまかせてみよう」と決心するにいたったわけです。ストーリーボードといえるものがあるとすれば、それは3枚のパネルというかサムネイルのようなものがあっただけで、アイデアを交換するために用いたにすぎません。画面作りに集中したんです。作業が進んでいっても、何をやっているのかよく分からないままでしたが、ある時、すべてを一つにつなぎ合わせてみました。あるときは、後半に出てくるはずの画面が先に出てくるようになったりしました。つまり、かなり突発的に決めていきました。そしてそれに反応するように、次の作業を行う。ゆっくりと進めながら、次第に全体が見えてきました。全体が見えてから、また改めて編集を行いました。一番初めの画面が、最後の画面になるように、やり直したんです。

ヘンリー・チュアン
いまハリーが言ったことは基本的に私が言いたいことと同じですが、日本のアニメーション作家の作品を見せていただいて、たとえば池亜佐美さんのように、探求や創造にすべてが注がれていて、興味深く感じました。彼女は手で描いています。もしシンガポールなら、「もっと快適に」とデジタルで処理して、まったく違ったものになってしまいます。私たちが知りたいのは、このような実験を貫こうという動機は何なのかということです。こういう作品を作るには、いろいろと障害もあるのではないでしょうか。シンガポールでは、効率が優先されます。実用的な考えが支配しています。こういう事情があるので、私たちはあなたの手法を見て、驚いたわけです。それで、動機について伺えればと思ったんです。

土居
その質問に対する日本側の答えの前フリとして少しお話しさせてください。今回は、講演やワークショップのためにラサール芸術大学、そして南洋理工大学に訪問したのですが、学校は日本とはかなり違うと感じました。何を「アニメーション」と考えていて、その上でどういう教育を施してゆくのかというのがすごく違うかなと。単純に、どちらの大学も日本よりも予算がありそうだなとも思いましたが(笑)。機材も豊富にありましたし。

日本の作家たちは、制作においてかなり非経済的なことをやっている。それが日本の教育とシンガポールの教育が違うところなのかなとも感じました。その点について、日本の藝大でアニメーションを学んだ二人はどう思いますか。


私たちの学校は山村浩二さんが教えていて、山村さんの哲学から影響を受けているという部分はあります。山村さんは、アニメーションの制作と収入をつなげることは個人制作においては考えません。映画祭に向けた、自分自身の仕事としてすごく集中してやっている。例えば絵本を描いていたり、学校で教えていたりすることで、経済的な部分を賄っている。

とても完成された、いかにもスタジオで作ったような、上質なストーリーを持つ美しい短編が作りたいという人なら、勿論それを作ってもいいんですけれども、「それを中心に作れ」という教育ではなかった。私自身のモチベーションとしても、やはり、新しいものが見たい、という一言に尽きる。新鮮なものを探している、観たことがないアニメーションが観たい、だから学校ではみんなが研究開発をしている、そういうことだと思います。自分のやりたい、目的を追求した結果、それが(自分の)スタイルになってゆくんだと思う。

土居
一方で、平岡さんは自分のスタイルというものを持ちつつ、それがそのままクライアント・ワークとして成立しています。個人が見出していったスタイルが、ある種のマーケットと良質な関係を築くという事例も日本で生まれてきている。

先ほども言ったように平岡さんは独学で、川口さんや池さん、さらにはヘンリーさんやハリーさんが参考にしてきているアニメーション作家や歴史というものを、たぶん共有していない。ユーリー・ノルシュテイン、プリート・パルン、イゴール・コヴァリョフといった作家の名前を知らないけれども、でも平岡さんはここに立っており、表現にもある種の共通性が見いだせる。今までアニメーションを作る時、こういう名前は知っとかなきゃね、といった部分があったんですけど、そういうものがなくても強い表現が生まれてきている。それは新しい時代の始まりだなと僕は思うんですよね。

多分それが世界の新しいアニメーションの傾向ともマッチしている。それまで強力なアニメーションの歴史が無かった国で、何かしら新しいアニメーションの表現が生まれつつあるという状況があるんですよね。例えばイスラエルのアリ・フォルマン(『戦場でワルツを』)。やはり彼もアニメーションの作り方はまったく知らなかった。でも彼は世界中から評価されて、アニメーションの作り手からも非常に新鮮なものが出てきたという例があったりする。

今回はシンガポールに加えて、インドネシアの作家も日本に招いたりしたんですけれども。実はインドネシアで生まれつつあるのは、コンテンポラリー・アートとアニメーションの繋がり。それによって、これまで観たことのなかったアニメーションというのが、生まれつつあるんですね。

タン・ウェイ・キョン
土居さんは、最近の日本のアニメーション作家に共通の主題があると言っていましたね。それは、運動であると。ヘンリーとハリーの意見を聞いてみたいんですが、シンガポールのアニメーション作家にも何か共通点はありますか。私たちは何を探っているんでしょうか。

ヘンリー&ハリー
主観的な意見にすぎませんが、話してみます。2日前にちょうど「インディペンデント・アニメーションとは何か」と聞かれることがありまして、そのとき「インディペンデント・アニメーションをあなたはどう定義するか」と逆に聞き返しました。私たちが考えていたのは、インディペンデント・アニメーションというのは、みなが何かをやっているなかで、自分は違うことをやる、そういうものだと思いました。シンガポールでは、子供向けの古くさいコメディばかりが作られているので、インディペンデントのアニメーション作家は違うことをやります。もっとダークなものであったり、より個人的な作品を作る傾向にあります。日本にはアニメが溢れていて、スタイルも定まっています。しかし今日の3人の作品を見ると、まったく違うスタイルを模索していて、ストーリーではなくエモーションを探求しています。アニメーションを使って、そういうものを伝えています。何か付け足すことはありますか?

タン・ウェイ・キョン
シンガポールのアニメーションに関して思うのは、私たちはまだ自分たちの文化的なアイデンティティを見つけるにはいたっていないということです。アーティストとしては内的に、社会集団としては外的に、それを探っている渦中なのだと思います。自分たちが何を信じているのかを、まだ探っている段階です。ヘンリーとハリーの言うとおりだと思います。面白いものもたくさんあり、シンガポールで大半を占めるメインストリームとは違ったことを求めています。日本の作家にお聞きしたいんですが、シンガポールの作品について、何か感想をうかがえますか。シンガポールの作家はどこへ向かおうとしているように見えましたか。

平岡
シンガポールの作品をあまりたくさん観れているわけではないので多くのことは言えないのですが、僕がシンガポールでワークショップをした際に印象的だったのは、現地の学生たちから名刺をもらったことです。そこに「2Dアニメーター」とか既に書かれていて驚きました。日本の学生たちはあまり商業性を意識していなくて、自分の世界を作るということに非常に集中しているんですけれども、シンガポールの人はそこに加えて、アニメーションの仕事に就きたいという意識がある。そこにシステマチックなものを感じて、すごく象徴的だなと思いました。

川口
ラ・サール芸術大学で3人で一つの作品を作るというシステムが出来上がっていることにすごく驚きました。あとは、いろんな方がいろんな背景をもっていて、いろんなとこから来ている方がミックスされているという印象も受けました。


たぶん、そうしていろんな国の人が集まっているからかもしれないですけれども、ウェイさんの講演でも「シンガポールのアニメーションの共通点を作らなければいけない」という話がありました。作品を観ても、風景だったり、人だったり、国の要素をビジュアルとして直接入っているものがすごく多かった。一方で日本だと、みんな同じ顔をした人しかいないからかもしれないけれど、もう少し魔術的な世界を作りたがるところがある。それは商業でもインディペンデントでもあまり変わらない一つの傾向かなと。そういう精神がすごく日本っぽいのかなと思うんですけれども、一方でシンガポールでは、かなり具体的なモチーフに郷愁を見出しているのかなと、観ていて思いました。

平岡
たぶんシンガポールは多民族国家なので、意見を聞くというのがまずあるのかなと。一方で日本はあまりそうではないので、個人の世界に入っていけるというのが簡単にできてしまう。みんなが作っていくというその多様性に、まずシンガポールっぽさがあるのかなと思いました。

観客
その点に関しては私からお話しできることもあるかもしれません。私は日本に10年ほど滞在し、最近戻ってきた者です。いまはラ・サール芸術大学で教えています。シンガポールでは、みなさんお話しされていましたが、なんでも効果的に、なんでも効率的にやることを求められます。卒業証書を得るために3年、4年と高校で学び、また大学で3年、4年という時間がかかります。私の場合は外国人学生としての毎学期ごとに11000シンガポール・ドルを払いながら過ごしました。こういう状況であると、おそらく家族は何を見返りとしてもたらしてくれるのかと聞いてくることになるでしょう。つまり、アニメーションを勉強しようとしている学生は、こういったプレッシャーを感じていると思うんです。これは、アニメーションが時間をたくさん使いたいメディアであると同時に、たくさんのことができる表現になっている理由ではないかと思います。実際、多くのことがなされています。

ところが日本では、個人という概念が重視されていて、日本の大学というのは特別な時間を提供してくれる場所になっています。なにをやっても許されるんです。何もしなくてもいい。3年間ずっと寝ていても、遊んでいてもいいわけです。それでも卒業できる。やりたいことならなんでもやっていい環境になっています。大学の先生もこういった個人性を許していて、学生はなんでもできる。そういう重要な期間になっています。多くの学生がこれが一度きりのことだと理解し、やりたいことをやっています。その後に創造的な仕事をする人もいるかもしれませんが、同じくらい多くの学生が卒業後は会社員になってつまらない仕事につくことになる。だから、こういった環境が彼らを創造へと駆り立て、何がやりたいのかという点に対して敏感にさせています。学生は自分と向き合います。といっても別に何かを期待するというわけではなく、単に自由な時間があり、何かに責任を負う必要がなく、自分自身に向き合うことができる。

しかしシンガポールの場合はどうかと比較して考えてみると、やはりプレッシャーが重くのしかかっています。そしてこの種のプレッシャーはなにも個人にかかっているだけではなく、学校にも重くのしかかっています。学校というのは、つまり私たちのことです。このプレッシャーが学科や学校全体を覆い、最終的には講師にまで影響を与えています。技術として学生に何を教えるべきか。卒業後に、学生はどうやって生計を立てればいいのか。卒業後も大丈夫なのだと示すために、卒業生は卒業後に学校を訪れ、学生と握手をして、名刺を交換する。そうすれば、学生が雇われる可能性があるからです。私は、このような日本とシンガポールの違いが、学生の作品にも影響を与えていると思います。シンガポールでは、学生をスタジオで働けるように教育しています。ヴィジュアル・アーティストにしようとしているだけではなくて、そこまでいけなくてもいいけれども、仕事が見つけられるようにしてあげる。ちょっと思っているというだけで、間違っているかもしれませんが、いま私はこういうふうに考えています。

タン・ウェイ・キョン
ありがとうございます。大変貴重なお話です。そろそろお時間がきてしまいました。今日始めた議論も会話もいい練習になります。そして、まさにこの今という時に私たちが行っていることを文脈づけることを促してくれます。もしまだ何かご意見やご感想などあれば、ディスカッションしていきましょう。

(翻訳:須藤健太郎)