NEWS

リスキー・ラズアルディ 「具現化される神話」(2016年11月5日)

リスキー・ラズアルディ 「具現化される神話」

2016年11月5日@新千歳空港ターミナルビル 4Fオアシス・パーク

※本原稿は、以上の日程に開催された講演の書き起こしに基づいて構成されたものである。

こんにちは。他にも良いプログラムがあるなか、このささやかなプレゼンテーションにお越しいただき、ありがとうございます。まず、私をご招待くださったこの映画祭、特に土居伸彰さんに御礼を申し上げます。

今日のプレゼンテーションでは、インドネシアのアニメーションの歴史におけるビデオ・インフォグラフィックや、動画によるシーケンシャル・アート、現在のアニメーション、インドネシアの友人たちとの活動についてお話したいと思います。

まず第一に、インドネシアのアニメーションは、質と量の両面において競争力はありません。この結論には議論の余地がありますし、詳しくお知りになりたければお話しします。ですが、フェスティバルに応募されている作品の数と、多くのテレビチャンネルやホームビデオ、インターネット・チャンネル等でどのようにインドネシア映画が見られているかを考えると、そう言わざるを得ません。

第二に、インドネシアのアニメーションはメディア業界のように強く産業寄りな傾向があります。しかし成功しておらず、多くのアニメーターはテレビに参入しようとしていますが、あまりうまくいっていません。また、映画祭や自主配給などの現代的な方法でアニメーションが拡がることはほとんどありません。

一方、インドネシアのビジュアルアーティストTromaramaは、自分たちのことをアニメーター、またはアニメーション分野の人間だとは名乗っていないですが、とても成功しています。

まず一つ目の映像をお見せします。映画『It’s like this』の抜粋です。これは簡単にご説明しますと、インドネシアの初代大統領から複数の場所に記念碑を建てることを依頼された彫刻家たちのドキュメンタリー映画で、インドネシア独立戦争に関係しています。この映画は、多くのインドネシアのアニメーションと同じように、歴史的テーマを扱っています。

しかし、この歴史アニメーションのどこが特別なんでしょうか。このような作品はすでにたくさんあります。ビデオショップや本屋に行けば、歴史アニメーションのDVDがたくさんあります。しかし、今日、私がこれからお話しする作品群は、主に「あいまいな歴史」を語っているものです。

「あいまいな歴史」とは何でしょうか?ここでは、ほぼ語られてこなかった歴史という意味で使っています。語ることを禁じられ、人々が話すことを避け、全く知られていない歴史です。例えば共産主義や、多くのインドネシア人が捕らえられ虐殺された1965年に関係する主題です。

例えば、今ご覧いただいた映画は街の彫刻や記念碑、銅像について描いていますが、インドネシア人の多くはその歴史的背景を知りません。この彫刻家は共産党員として告発されました。事実、初代大統領は、共産党のためにこの彫刻家に依頼をしたのです。映像やアニメーションについてさらにお話する前に、簡単にインドネシアにおける権力とその統合の歴史をご説明したいと思います。

インドネシアは1942年までオランダに占領されていました。その後1945年まで日本に占領され、1945年に独立します。1965年にはクーデターが起き、初代大統領が失脚し、軍事独裁政権が誕生します。この軍事政権は1998年まで続きます。現在はもちろん民主主義ではありますが、少数独裁政権と言っても良く、保守化が進んでいます。

オランダと日本の占領下において、オランダは国営映画製作会社を設立します。そしてオランダ人と日本人によってプロパガンダ映画が多く製作されました。インドネシア独立の後には、初代大統領によって、情報を伝達するためだけではなく、西洋諸国に対してインドネシアは発展した国であることを印象付けるために国営テレビ放送局が作られました。

1965年以降は軍事政権が放送局と国営映画製作会社を活用し、多くの歴史が彼らの意図に沿うように修正されていきました。1998年からは、インドネシアは検閲の時代に入り、情報にはフィルターがかけられました。政府は1998年以前と同じような情報統制はしませんでしたが、インドネシア社会はすでに情報に関して無関心になっていました。

ここからは、このアニメーションが代わりにその役割を果たしている映像アーカイブについてお話ししましょう。1998年に新政権が発足しましたが、図書館や美術館に関する方針はまったく重要視されることなく、インドネシアの図書館や美術館は未発達のままです。ユネスコの調査によると、人々が図書館、美術館に通う頻度は、187か国のうち、インドネシアは124位です。

フィルム・アーカイブはどうでしょうか。ほぼ、放置されているといっていいでしょう。オランダにより設立され日本や新政権に活用された国営映画会社は2000年に廃止され、保管されている映画の多く、70%はビネガー・シンドロームによる劣化の深刻なダメージを受けています。

これは商業映画でも、アート系映画でもなく、テレビで普通見るようなドキュメンタリーです。エンターテイメントではなく、情報伝達のための作品です。このアーカイブの収蔵作品の70%はもう見ることができません。今のところ、長編映画に関しては3本の傑作だけが修復されました。そのうち2作品はインドネシアでは見ることができません。

最初に修復された作品は国外の資金によって行われ、シンガポールの美術館に保管されています。二つ目の作品は税金が使われたのですが、そのせいで、修復を行ったラボでさえも作品を上映することができません。税金が使われたものは商業的に配給をすることができない、と定めた法律があるためです。複雑な問題です。

二つ目の抜粋をお見せします。『Asia Raya』という映画です。1942年から45年までの日本のインドネシア占領についての物語で、非常に面白いものです。この作品の視点は、インドネシアの学校教育などで語られてきたものと大きく異なるからです。私たちは、外国によるインドネシアの占領は、自然資源を目的としていると教えられてきました。

日本はインドネシアの自然資源を狙ってやってきたのだと信じられています。しかし、本当は違うのです。第二次世界大戦中の日本、ドイツなどの枢軸国に関してはほんの少ししか、もしくはほぼ全く教えられてこなかったと言えるでしょう。こういった歴史は、インドネシアの歴史書にはほぼ見つけることができません。

インドネシアのアニメーションとシーケンシャル・アートの話に戻りましょう。独立から10年後の1955年には、スカルノ初代大統領がイラストレーターたちをディズニー・スタジオに派遣しました。1956年には、大統領自身がディズニーランドに赴き、派遣したイラストレーターたちの進捗を確認しています。ドゥカット・ヘンドロノットは、初代大統領の依頼によって米国のアニメーションを学び、インドネシア社会に情報を伝え宣伝するアニメーションを作りました。

1964年から65年には、ある高名なイラストレーターが突然、大統領から、インドネシアの首都ジャカルタの知事に任命されます。このアーティストには政治・行政的な背景はまったくありませんでした。新しい時代の行政には特にビジュアル的な情報が大切である、と大統領が言ったのです。この知事が、記念碑や彫刻をジャカルタに作ったアーティストです。65年の後、ウォルト・ディズニーにいたアーティストたちや彫刻家たちは軍部により捕らえられ、初代大統領は失脚します。

65年以降、軍事政権は歴史を修正するうえで情報が重要であることに気付きましたが、アニメーションをうまく活用することはできませんでした。アニメーションを作ろうとしましたが十分なノウハウがなく、模索する過程で人形アニメーションへと方向転換しました。このプロジェクトは途中でとん挫し、収蔵していたフィルムは失われてしまいましたが、アーカイブに放置されていたフィルムのなかからこのフッテージ映像が見つかりました。

インドネシアには現在、歴史アニメーションの新しい動きがあります。それまでの、少なくとも201011年までのアニメーションの動きとは少し違っています。以前は、インドネシアのアニメーターやアニメーション作家のほとんどが自分たちで個々に制作していました。これが、多くの作品の完成度が高くなかった理由かもしれません。彼らはアーティストとして、自分で物語をつくり、自分で制作していました。それは決して悪いことではありませんが、インドネシアの仕組みの中で上手くいっていません。

そしてこの新しい「あいまいな歴史」のアニメーションでは、アーティストたちは以前とは違う方法で製作しています。ストーリーは自分たちで作りますが、自分たちの周囲にある隠された、あいまいな、禁じられた話に意識的で、それを見つけ出そうとしています。そして、NGO、アーカイブセンターや研究者などと一緒に作っています。驚くことに、それらの団体は映画製作のワークフローを持っており、プロデューサーや脚本家、ライン・プロデューサーのような機能を果たしています。インドネシアのアニメーション制作において、いままで培われてこなかったものです。

それ以前のアニメーションは物語やストーリーテリングが欠如していたことが問題でしたが、この新しいアニメーションは、すでにそこにある面白い話や、人々が知りたいと思う新しい物語を扱っています。そのため、この新しいムーブメントはより興味深いものになっています。

アニメーションの要素の入ったドキュメンタリー映画とアニメーション映画を上映しましたが、これから、また別のアプローチによる映像をお見せします。ジャカルタ・ビエンナーレ期間中にラボ・ラバラバというビジュアルアーティストが制作しました。発禁となったアーカイブ映像や、破損した人形アニメのアーカイブ映像を集めたものです。これは国営映画製作会社が廃棄したセルアニメーションで、ゴミ箱のなかからアーティストが見つけました。

このアニメーション・プロジェクトには面白い話があります。「カンシル」と呼ばれたこのプロジェクトでは、80年代前半、国営映画製作会社がセルアニメーションの映画を作ろうとし、イラストレーターたちに声をかけて製作しました。この企画には膨大な製作費がありました。新しいアニメーションを作るのではなく、ウォルター・フォスター社のアニメーション・ガイドブックをイラストレーターたちに買い与えて、例として使われている挿絵の動物の頭をインドネシアの動物に変えて製作するように指示をしました。予算は潤沢にあったものの、この作品は完成しませんでした。イラストレーターの何人かは、予算の大半は国営映画会社のスタッフが着服したと言っていました。

次に、もう一つ重要なものをお見せします。「カンシル」のアートワークです。ラボ・ラバラバのルディ・ハトゥミーナたちがゴミ箱から見つけたものです。この種の展示用の作品にも、ライン・プロデューサーや映画のプロデューサーが参加しています。アーティストたちは、このゴミ箱の中から見つけた残されたセル画から新しいアニメーションを作り、その背後に完全に機能を停止している国営映画製作会社の現状を織り込んでいます。

次に、新しい歴史アニメーションについてですが、ビジュアル面でこのように新しいアプローチをしていますが、以前はご存知のように、3D技術を多用していたのはテレビやアニメーションの見本市での企画プレゼンテーションだけでした。

アニメーターの大半は3D技術や従来の2Dを使っています。ですが、この新しいムーブメントの到来以降、彼らはビジュアル技術においても新たなアプローチを試みています。インスタレーションをご覧いただきましたが、彼らは拡張3D技術も使いますし、特に広まっているのはモーションコミックの技術です。最後のものは、最近とてもポピュラーな、インフォグラフィックです。基本的に、データや数字によるグラフィックのようなものですが、これをビジュアルに変換しています。

ここでまた別の映像をお見せします。これはドキュメンタリーで、一部がコミックになっています。これはムービングコミックではなく、コミックを使った別のスタイルのドキュメンタリー映画といえるでしょう。監督が、虐殺の生存者であるイラストレーターを起用したのです。65年に始まった共産党の虐殺は、現在も政府は認めておらず、これに関する記録書類やドキュメンタリー映像のアーカイブは認められることなく、まったく存在しません。

65年に多くの芸術分野の技術者やアーティストが捕まり殺されました。そのなかには、写真のように鮮明な記憶を持つ人たちがいて、アーティストやドキュメンタリー作家が彼らにその記憶を描き出してもらおうとしました。このような重要な題材を扱う新しいアニメーション作家や映画作家たちは、基本的にいままで存在しなかった、または見つけ出すことが困難だった映像アーカイブを手に入れようと渾身の努力をしているのです。それでは、作品の「外側」を見ていきましょう。

この新しいムーブメントから、今までのインドネシア・アニメーションにはなかったものを発見することができます。まず、アニメーションは子供だけを対象にしたものではない、ということに初めて気づきました。それまでアニメーションは、常に子供向けの製品と見做されていました。そして第二に、試練をともなうマーケットである、ということがあります。今日現在、この作品を実際のところどこに向ければいいのかわかっていません。以前は、映画作家やアニメーション・アーティストたちは、テレビに向かおうとしていました。しかし、これらの新しい作品は、有名なテレビ局からすると不安定なのです。そして驚くことに、その中には完成するとそのままインターネット上に無料で公開されるものもあります。

以前の歴史アニメーションは、インドネシア国内で教えられ語られてきた歴史の延長にありました。しかし、現在の新しい歴史アニメーションは、その扱っている主題に関する唯一の公式な情報源なのです。例えば、今日最初にお見せした作品以外には、あの彫刻家やジャカルタの記念碑の歴史に関連するアーカイブ映像を見つけることができないのです。

また、インドネシア独立への日本人の関わりについての映像資料は全て、占領目的は自然資源であったとするものばかりです。ですから、これらの新しいアニメーションは単なる映画以上の意味を持っています。つまり、新しい参照資料や情報源になり得るということです。

質問1
ウォルター・フォスターの、動物の頭だけを変えた作品についてもう少しお聞かせいただけませんか? どういった内容なのでしょうか?


このアニメーションがどのような物語だったかは、わかっていません。ラボ・ラバラバという、私自身も所属するアーティスト集団が作品を発見しました。放置されていた映画製作会社のラボを借り切り、大量の廃棄された映画のプリントやネガを床に散乱した状態で見つけたのです。そして最後に中身を確認したごみ箱からあのセル画を見つけました。そして、そのアニメーターが誰なのか足跡を辿ろうとしました。

質問2
ご紹介いただいた現在の作品たちは、歴史的事柄を扱ったノンフィクションやドキュメンタリーのみなのでしょうか。フィクション映画もありますか?


これらの新しい歴史アニメーションのほとんどは、ノンフィクションです。ドキュメンタリーまたは伝記映画です。例えば、インドネシアの新聞に短い記事として掲載されるような日本人兵士に関する物語です。インドネシアに住んでいた日本人兵士たちがインドネシアに暮らし、インドネシア人女性と結婚し、その日本兵の息子や孫が語り継いでいるような物語。メインストリームのテレビ局の番組でよく扱われているような話です。

質問3
こういったアニメーションの製作費はどうやって集められているのでしょうか?


現在、アーティストたちの周辺には第三者団体がいます。以前は、アニメーターの多くは企業から金を集めようと非常に苦労しました。一方、新しいアーティストたちは、助成金にどうやってアクセスするかを知っています。以前のインドネシアのアーティストたちはほとんど知らなかったことです。NGOや私設のアーカイブセンターなどと一緒に活動をし、製作費を得ています。この助成金があれば、作品を商業的にする必要がないのです。ご覧いただいた二つのドキュメンタリー映画は、アニメーターではなく歴史に関するNGOによって製作されました。教育や歴史に関しては予算がついており、アニメーション作家やイラストレーターたちのために活用されました。

(翻訳:小山内照太郎)