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タン・ウェイ・キョン 「残酷なまでに率直 シンガポール・アニメーションの新しい風」(2016年5月6日)

 タン・ウェイ・キョン 「残酷なまでに率直 シンガポール・アニメーションの新しい風」

2016年5月6日@シアター・イメージフォーラム「寺山修司」

始まり
シンガポールはとても若い国です。昨年やっと50歳になりました。若い国にとって、芸術というのはおそらく最後にとりかかるものです。それで私たちは、芸術の発展においてはだいぶ遅れています。今日のこの講演では、シンガポールのアニメーションの歴史を簡単に辿り、近年登場してきたシンガポール・アニメーションの監督を紹介していきましょう。

シンガポールにおけるアニメーションの特筆すべき出来事が初めて起こったのはおそらく1940年代から60年代にかけてのことですが、しっかりと記録されていません。シンガポールは1965年に独立しました。最初のアニメーション・スタジオができたのは、1983年です。1996年に初めてアニメーションを学べる学校ができました。南洋(ナンヤン)理工大学です。シンガポールの大学でアニメーション専攻によって美術の学士号が取れるようになったのは、2005年のことになります。

ナンヤンというのは「南洋」ですから、南の海という意味です。現在の中国語では、南シナ海に囲まれた東南アジアの国々を指しています。シンガポールにおいて初めてできた学校の多くは、「南洋(ナンヤン)」という名前を付けています。私は南洋理工大学を卒業しましたが、一期生です。つまり私は2005年からアニメーションの勉強を始めたということです。

南洋理工大学出身のアニメーター——タン・ウェイ・キョンとハリー&ヘンリー・チュワン

簡単に自己紹介をさせてください。私は、写真、ドローイング、絵画といったもののミクストメディアの手法を好んで使います。アニメーションといっても、一つのテクニックにこだわっているわけではないのです。自分の作品の中に実験的なトピックを入れるようにしているのです。2009年に大学を卒業した後、今に至るまでの6年以上、インディペンデント映画制作に取り組んできました。

私の大学の出身者にはほかにもシンガポール出身の素晴らしい映画監督がいるので、名前を挙げたいと思います。ヘンリー&ハリー・チュワンです。彼らの作品は『142B号棟の虎』というタイトルで、今回3番目に上映しました。彼らも南洋理工大学の出身者で、2012年に卒業しました。双子です。二人とも奨学金を得て、一緒にアニメーションの勉強をし、一緒に作品を作っています。私は彼らに近しい友人として、二人が協力し合っているさまに驚かされています。二人が双子であることからくる相乗効果が、作品にも通底していると思います。

彼らは2012年に大学を卒業してから、理想と現実に挟まれました。シンガポールで生き残ることができるのかどうか、アニメーションを作ってお金を稼ぐことができるのかどうか、自分たちは何が一番やりたいのか、まったく分かりませんでした。アニメーションを諦めようとさえ思うほど、考え抜きました。そして最終的に、彼らは「ウィーヴィング・クラウド」という自分たちのアニメーション・スタジオを設立しました。2013年、3年前のことです。それから制作を始めました。私は彼らをアーティストとみなしています。作品制作のプロセスがとても創造的だからです。

シュリニバス・バクタとナショナル・アイデンティティの問題

もう一人ご紹介したいのは、シュリニバス・バクタです。短編映画の制作にかんしていうと、バクタは一番経験のある監督だと思います。13本以上の短編を撮っています。現在は、南洋理工学院で上級講師を務めています。

バクタはインドに生まれました。製作国についてはのちほどまたお話しできればと思いますが、彼が数年前にシンガポールに国籍を移したので、製作国が変わったわけです。

ご存じのとおり、シンガポールは文化の坩堝です。人種的に異なる背景をもつ人々からなっています。シンガポール文化とは何を指すのか、誰もまだ分かっていません。みな、シンガポールのアニメーションとは何なのかを探している最中です。バクタはシンガポールの住民になる前から、インドで作品を作っていました。先月のことですが、カピー・イーパック(彼はベトナム出身で南洋理工大学でアニメーションを学びました)と私は興味深い話をしました。カタログに作品情報を記載するとき、製作国をどこにしてほしいかと彼に聞くと、こんな面白い答えが返ってきました。「作品がどこで作られるかは重要じゃない。それで内容が変わるわけではないから」。

セルフポートレート

特に若い作家の作品に顕著ですが、広く掘り下げられている主題に「自画像(セルフポートレート)」という主題があります。私が大学で勉強していたころ先生がよくそういう課題を出していました。自分のセルフポートレートを作りなさい、と。とても重要な練習だと思っていました。というのも、多くの芸術的な映画やアニメーション、短編は、監督やアーティスト自身の探求であるからです。そして、監督の自己は多くの観客とも共通するものです。『鳥かご(Cage)』は、おそらくシンガポール・アニメーションの初期作で世界的に広まったものの一つに数えられますが、監督の名前はK・スブラマニアムといいます。彼はシンガポールで最初のアニメーション会社を設立しました。アニマータという会社で、1983年のことです。この作品にすでに、セルフポートレートの主題が見られます。

産業と政府

シンガポールに来たことがあれば実際に理解できると思いますが、シンガポール政府はこの国の経済発展に大きな影響をもたらしています。シンガポール経済は、非常に家父長的な政体に支えられています。国家運営としては、非常に功利的な方法がとられています。芸術に関してというより、全般にわたってそういう政策がとられています。

シンガポールには、多くのエンジニアがいて、IT産業がさかんです。次世代に発展する産業もITに関わるもので、映画やゲームやアニメーションを含むニューメディア産業でしょう。特にここ10年というもの、公的資金がニューメディア産業に投入されています。学校の設立もそうですし、魅力的な外国企業の支点をシンガポールに誘致することもやっています。また、シンガポールを拠点にするアニメーション・スタジオへの補助金も増えてきました。

需要と供給が循環している面があるのだろうと思います。政府が芸術振興のための予算を増やすと学校は増えるわけですが、学校は政府からの補助金を得るために設立されるわけです。問題なのは、こうした受容と供給の関係は、創造的な作品制作とは矛盾する点です。芸術家であれば、政府の意向に沿って作品を作るなんてことはありえません。ともあれ、この問題にいまは深入りせず、あとで戻ってくることにしましょう。

こちらは、シンガポールの重要な学校と企業をリストにしたものです。すべてではありませんが、重要なものを並べました。もっとも大きなものだと、ルーカスフィルムがあります。シンガポールにルーカスフィルムの支社ができたときは、世界的なニュースになりました。ユビソフトもダブル・ネガティヴのときもそうでした。こういった西洋の企業は視覚文化の市場に入りこもうとしていると考えられますが、今年、(シンガポールの)ダブル・ネガティヴが閉鎖するという大きなニュースがありました。世界的なニュースとして取り上げられました。その他にこのリストで挙げられているシンガポールのスタジオで、主に幼児市場を対象にし(子供のためのエンターテインメントです)、それから広告市場を対象にしています。

さきほど創造的な作品制作は政府主導の芸術振興と矛盾するかどうかという話をしましたが、シンガポール政府は、シンガポールで芸術を発展させる公的資金を確保しています。政府は、挑発的なものや、政治的に正しくないもの、感覚的に鋭すぎて政府の意向に沿わないものなどに出資することは望んでいません。補助金をつかさどる団体は芸術が利用できるということがよく分かっています。アニメーションの分野でいえば、依頼作品がシンガポールに有利な光を当ててくれると知っているのです。去年はシンガポール建国50周年記念でしたから、多くの予算が芸術作品を制作に注ぎ込まれました。シンガポールという国を宣伝したり、独立50周年を祝う作品に対してお金が使われました。

このように、芸術家と政府との間にはとても興味深い関係があります。良いか悪いかという問題ではありません。これは、ここ5年か10年の間に、シンガポールでごく自然に生じたことです。私はアーティストがナショナル・アイデンティティを探るというのは普通のアプローチだと思います。ただ重要なのは、なぜ映画を作るかという自分の理由を明確にし、それに対して誠実であるために挑戦するということです。それが芸術作品であるか、政府の道具かはどちらでもいいことです。こうしたシンガポールのナショナリズムを見せる作品をご覧になれば、もし一度もシンガポールを訪れたことがなくても、シンガポールにいるような気分になると思います。

長編映画

残念なことに、シンガポールはまだ突出した長編映画のアニメーションを作っていません。もちろん長編は作られてはいますが、あまり知られていません。技術的なスタイルであったり、内容であったり、様々な問題があって、まだ国外には広まっていません。

ただ一つだけ、挙げておきたい作品があります。エリック・クーの『TATSUMI マンガに革命を起こした男』です。とても面白い作品です。辰巳ヨシヒロの漫画『劇画漂流』をアニメーション化したものです。エリック・クーは基本的に実写映画の監督ですが、2011年に『TATSUMI マンガに革命を起こした男』を作りました。

さまざまな格闘

シンガポールのアニメーション監督やアーティストは、共通した問題と格闘しています。自分の情熱や関心と生活に必須の金銭とにどうやってバランスを見出すか(これは世界中のアーティストが向き合っている問題であるとも思いますが)、です。多くのアニメーション・スタジオは商業的な作品を作り、広告を手掛けています。監督のなかには学校で教えている人もいます。さきほど話した受容と供給から見返りを受けているわけです。

彼らが戦っている2つ目の問題として挙げられるのは、自分の作品を見せるためのプラットフォームを見つけることです。国際映画祭や、あるいはシンガポールという地域に関心を寄せたイベントがそれにあたります。シンガポールで大きなイベントというと、シンガポール国際映画祭が挙げられます。

最後に3つ目は、おそらくもっとも基本的な格闘です。自分自身のなかで、創造的な議論を交わすことが重要です。シンガポールは、日本や韓国や中国と比べるとまだ若い国です。日本にせよ韓国にせよ中国にせよ、インディペンデント・アニメーションの分野ですでに発達をみせています。

でも、おそらくこれから5年もするうちに、シンガポールからもすごいアニメーションの監督が出てくると思います。ありがとうございました。質問がありましたら、なんでもどうぞ。

質疑応答

質問1
上映プログラムの作品についてですが、共通した傾向があるように思います。すべての作品が一種の抵抗を示しています。直接に抵抗が描かれるわけではありませんが、あいまいなかたちでそれが表現されています。たとえば、『142号棟の虎』では虎がメタファーになっています。このように比喩的に抵抗が描かれるのは、シンガポールでの抑圧的な環境を反映しているのでしょうか? どのように思われるか、ご意見を伺えればと思います。

タン・ウェイ・キョン
アーティストや監督がメタファーを使って自分が置かれている状況を反映させるのは自然なことだと思います。どのような作品であっても、自分の精神状態を作品に直接に翻訳したもので、ごく自然に翻訳しているわけです。比喩を使うという点に関して、一番目の理由は芸術的なものだと思います。二番目の理由としては、格闘や抑圧を描くとなると、それを直接的にそのまま取り上げることはしないものです。直接的ではないからこそ、作品が国際的な注目を浴びることになります。

カピー・イーパック
正直に話しますと、シンガポールは世界の中で不幸な国の一つだと思われています。しかし実際に暮らしていると、別に不幸だとは思いません。またそれとは別に、シンガポールでは直接的にならず、あまり強い表現をとらないように教えられている人が多いと思います。ですので、アーティストやシンガポール人にとっては、失望やなんらかの否定的感情を間接的な表現で表すのは自然なことなのです。

質問2
このプログラムで上映された映画作家は、その多くがあなたのように複数のメディアを組み合わせて作品を作っています。日本では、事情が異なります。アーティストは自分のスタイルを保持し、自分のテクニックを持っています。シンガポールではアニメーションを作るさいに、メディアをミックスさせることが多いのでしょうか?

タン・ウェイ・キョン
それはシンガポールには長い伝統的なアニメーションの歴史がないからだと思います。それで、アニメーションが一つのテクニックからなるとは考えないようになっていると思います。シンガポールは若い国なので、いまご覧になった作品の大半はまだ実験段階にあります。5年後、10年後には、もっと技術やスタイルが確固たるものとなっているでしょう。

カピー・イーピック
質問された方のおっしゃる通りだと思います。シンガポールではメディアをミックスするのはよく見られることです。私の話をすると、学校でメディアをミックスさせることを教わりました。シンガポールではすべてが新しく、なんでも同時代的なわけで、メディアをミックスさせるのは強力な道具になっています。それによって、(アニメーションを作るのに)時間をたくさんかけることなく、物語を語ることができます。

質問3
好きなアニメーション作家はいますか?

タン・ウェイ・キョン
実は、私がアニメーションを作っている大きな理由は、2008年に日本のアニメーション映画『マインド・ゲーム』をシンガポールで見たからなのです。この作品が境界を押しのけてくれて、創造へとつながる思考を広げてくれました。

カピー・イーピック
私は、特に好きなアニメーション作家がいるというわけではありません。アニメーションの世界では、私はまだまだ新参者なんです。学校に登録したとき、私は美術専攻を選択したのですが、この学校では美術を教えていなかったので、私はデジタル映画制作に登録しました。学期を半分ほど過ぎて、これはあまり好きじゃないなと思うようになり、アニメーションに変更したわけです。

質問4
学校では、先生がアニメーションの古典を見せてくれたりはしなかったのでしょうか。

タン・ウェイ・キョン
ディズニーのことですか? もちろん、見せてくれました。でも私は第一期生で、大学自体が新しかったので、先生も何を見せたらいいかよく分かっていませんでした。私はそれほど多くの作品を見ているわけではありません。しかし重要なのは、いろいろな作品を見ること。しかも、いろいろな国の作品を見ることだと思います。

カピー・イーピック
学校の理想もここ数年で変わってきていると思います。はじめは学生にもっとアカデミックな研究に向かってほしかった。もっと美術寄りで、概念とか実体とか、そういう方向を目指していました。しかしそうやって進めていくと、学生の作る作品が業界のスタンダードとは一致しなくなってしまった。また受容と供給の話ですね。いまでは学校は、業界のほうにすり寄っています。最近は、After Effectsのようなソフトウェアが教えられています。商業的な広告で使うことができるからです。学校としては、より視覚効果や商業的なコマーシャルに特化した方向に向かっていると思います。

(翻訳:須藤健太郎)